1937

雑誌掲載作品 掲載誌 内容
「武侠少年の七日間」 「ラジオ子供のテキスト」1-4-?月号 「少年少女の昭和史第91回、ラッパ式ラジオから箱型ラジオへ」秋山正美、「花も嵐も」1997年7月号
「発財(フワーサイ)と面子(メンツー)」 「雄弁」2月号
「母でない母」 「婦人倶楽部」春の臨時増刊号
「聖なる翼」 「少女の友」4月号-13年3月号
「弱虫勇士」 「こども家の光」3月号
「米内海軍大臣立志伝」 「日の出」4月号 「大衆文学大系別巻・通史資料」(昭和55年、講談社)の「主要雑誌総目次」による。国会図書館「『日の出』総目次1(1)~14(7)」による。
 「私の疲労回復法」 「実業の日本」4月1日号  アンケート 
 「私の好きな指輪と萬年筆」  「モダン日本」6月号  沢田安史氏のご教示による。
「小指一本の大試合」 「少年倶楽部」8月特大号
「日本振天記(中篇)」 「河北新報」夕刊9/28-13年10/21、310回 「河北新報の百年」による。
「夫婦愛の感激絵巻」 「主婦之友」8月号付録、「娘と妻と母の衛生読本」
 「青春迷路」 「キング」8月号   
「間諜の妻」 「主婦之友」9月号
「支那軍は強いか弱いか」 「日の出」9月号
 「同人会」第二百二十二回  「同人明るい家」9月号  七月十六日に開催された会合の記録。以下の発言が掲載されている。
「◇山中峯太郎氏 三日前から群馬県からお客がきてるが地図を持参し之がある寺の本尊様の下から発見されたとの事です。之は林平方学者が小栗上野介の下で幕府の衰へを知り再挙を計るべく軍資金三百六十万両を埋めた場所の地図である。それが赤城山に埋没されてる訳であるが之が発掘出来れば実に国家的事業であると客は申してる果して如何なるものか、中山先生の御教示を願ひたい。」
 「夫婦間の金銭関係」 「婦人倶楽部」9月特大号  アンケート 
「手向ける高梁」 「雄弁」10月号
「空を行くタケル」 「幼年倶楽部」10月号
「支那戦線の父と子」 「日の出」11月号 「事変小説傑作集」所収、別冊ではなく本誌中の特集。国会図書館「『日の出』荘目次1(1)~14(7)」による。
「偉人の面影・大山元帥」 「少女倶楽部」11月号
「戦線の天使」 「婦人倶楽部」11月号
「林一等兵と愛犬「武律」」 「日の出」12月号 「コドモのページ」。国会図書館「『日の出』総目次1(1)~14(7)」による。
「空襲機密島」 「小学六年生」?~12月号~?
 「南京攻略と我大陸政策」(建川美次、山中峯太郎編集)  「講演」383集(12月)  p43の「本会時局懇話会 建川中将に大陸政策を聴く」によれば、12月10日に講演会が開かれて、峯太郎が司会を務めた。さらにこの原稿の末尾には「講師御多忙、且つ御旅行中のため、山中峯太郎氏に校訂の労を煩はしました」とあるので、ここに峯太郎の作品の一つとして収録した。
     
  書籍名  出版データ  
 「愛と結婚の十字路」  一誠社、2月    
 「昭和動員令」  新日本社、3月
 「良人の惡友」  「挨拶の仕方 : 礼儀作法」(家庭教育普及会 編、家庭教育普及会、3月15日)収録。p187-89  国会図書館近代デジタルライブラリー所蔵
1936、1938年 「良人の惡友」を参照。
 
 「青春迷路」  新潮社、4月    
 「世界無敵弾」  伊勢 良夫/装幀・挿絵
【出版者】 大日本雄弁会講談社
【初版年】 1937/06/29
【ページ】 313P
【大きさ】 20*14cm
   
「日本を予言す」  偕成社、11月 当時の支那情勢と今後の展望を分析している。特に注目すべきは支那における英国の権益を重視しており、日本が大陸に進出すると英国と利益がぶつかり、日本、ソ連、英国の争いになると分析している点である。現在出回っている歴史書では支那における英国の役割をほとんど記述していないが、考えてみれば香港はついこないだまで英国の植民地だった。それに上海から広東省は広く英国の権益地であったはずである。また峯太郎は思想戦、経済謀略、経済持久力、宣伝戦の重要性を訴えている。陸軍出身としては予想以上の視野の広さである。この影響力がもうすこし東条英機に及んでいれば、戦局もちがったものになったかもしれない。   
 「国境第一戦の前後」  樺島 勝一/装幀
【著者名】 鈴木 御水/挿画
【出版者】 春陽堂書店
【初版年】 1937/11/01
【叢書名】 皇国苦戦記 1
【ページ】 353p
【大きさ】 19*14cm
日露戦争の通史の第一巻。開戦から旅順総攻撃第3回までを陸軍を中心にして描かれている。前書き「かうして勝ち得たのだ」によれば
満州事変、上海事件はどうか。軍隊の奮戦労苦は多とせねばならぬ。が、相手は支那兵である。我が国民が、戦争はいつもこのやうに容易に行くものと、思ひこんでしまふならば、実に憂ふべきことである。
日露戦争に於て、非常に悪戦苦闘したことヾもを思起こし、更に精鋭なる強敵を相手ににした場合、いかにこれと戦ふべきやを考へ、一層の真剣味を加へなければならぬ。
と尾野実信大将の言葉をひいている。日露戦争当時を覚えている峯太郎にしてみれば、最近の若手将校の大言壮語や独断専行に危機感を感じていたのではないだろうか。なお「皇国苦戦の記」の続刊として「北方塹壕線四十里」はその後の旅順陥落からをあつかい、「五軍並進の包囲戦」は日本海海戦をあつかっている、と巻末の広告にはある。
(追記)
同書は昭和十三年に再版されたおりに「戦へ駆立てるもの」と改題している 
 
 「北方塹壕戦四十里」  春陽堂、11月    
 「聖戦一路」  春陽堂、11月    
 「戦死と思ったのに二人とも生きて帰る」 「講談社の絵本 支那事変美談」所収、11月    
 「あっ!プロペラが止った一度は死ぬ覚悟をきめた石家荘爆撃の全重機」  「講談社の絵本 支那事変武勇談」所収、12月    
 「祖国の鐘」  偕成社、12月