雑誌掲載作品 掲載誌 内容
「華は日に咲く」 「国民新聞」1月-9月 .
「大博士の家」 「日の出」1〜12月号 国会図書館「『日の出』総目次1(1)〜14(7)」による。
「日本と支那の子」 「婦人倶楽部付録 黒兵衛新聞」2?〜9月号 ネット上で2月号掲載は確認。9月号は入手。連載開始月は不明。
「街に潜む作戦」 (「講談倶楽部」新年号付録「愛国探偵恋愛武勇実話小説傑作集」) 日本の軍事機密を狙う国際共産党のスパイ活動を描いている。スパイの鳳とペシコフは愛人同士だが、機密情報を入手するためにそれぞれ色仕掛けで日本人に近づいた。ところが二人は待合の廊下で鉢合わせしてしまう。そこへかつて鳳にふられたスパイの周が仲間を裏切って警察をつれて二人を逮捕させてしまう。
「電気大トーチカ」 「幼年倶楽部」2月号 .
「死都を出た蒋介石」 「富士」2月号 「大衆文学大系別巻・通史資料」(昭和55年、講談社)の「主要雑誌総目次」による。
「刺客と広東本営」 「講談倶楽部」3月号 .
 「大西郷絵物語」  「主婦之友3月号 子供向けページである 「コドモノトモ」に掲載。目次には言及がない。山本直味氏のご教示による。
「射たれた抗日女王」 「日の出」3月号 国会図書館「『日の出』総目次1(1)〜14(7)」による。
「東の雲晴れて」 「少女倶楽部」5月増刊 .
「地獄谷の女王」 「富士」5月号 「大衆文学大系別巻・通史資料」(昭和55年、講談社)の「主要雑誌総目次」による。
「望む学校へ入れなかった子へ」 「少年倶楽部」5月号 .
「戦場に花と咲く感涙哀話」 「主婦之友」5月号 吉屋信子、吉川英治共著
「復活の謀人」 「富士」臨時増刊 「大衆文学大系別巻・通史資料」(昭和55年、講談社)の「主要雑誌総目次」による。
「大陸動員令」 「小学生の科学」5月号-14年12月号 .
「荒鷲王子」 「小学四年生」7月号 黒田明氏のご教示による。
「君万歳」 「キング」8月夏の増刊[全部読切面白づくめ号」 .
「奇跡と戦闘帽」 「少女の友」夏増刊月号 .
「父の始末書」 「講談倶楽部」8月号 .
「ためになることば はじめたらをはりまで」 「幼年倶楽部」8月号 .
 「なきむしか?大将に」  「幼年倶楽部」8月号  
「黄砂に昇る陽」 「少女の友」9月号-14年12月号 単行本化時に「謎の機械化兵団」と改題。
 「国民性の反映」  「映画之友」9月号  黒田明氏のご教示による。
「双子候補生」 「講談倶楽部」10月号 .
「復活の諜人」 「富士」10月号 「戦時下の言論」1982年、紀伊国屋書店
「維新政府と大民会の現状」 「世界知識」11月号 .
「旗手は貴様だ」 「講談倶楽部」11月号 )「大衆文学大系別巻・通史資料」(昭和55年、講談社)の「主要雑誌総目次」による。
「清き血の中より」 河北新報夕刊11/8-12/23連載、37回 伊勢良夫画。「河北新報の百年」による。
 「中支視察より帰りて」 「 講演」第418輯、12月10日  東京講演会発行。A5版、全34頁。同年11月14日に丸ノ内中央亭で東京講演会主催で行われた講演の速記録。
「?」 「小学四年生」12月号 第9回サンシャインシティ大古本まつり目録、2000年
「怪奇探偵情話武勇実話小説傑作集」 「講談倶楽部」付録 「大古本市」伊勢丹、2000年8月による。
     
  書籍名 出版データ  
「夫の悪友」   「改まつたものの言ひ方」(木村書店,2月20日) 所収  国立国会図書館近代デジタルライブラリー所収
1936,1937年「良人の悪友」を参照。
 「亜細亜に立つ火柱」  偕成社、2月  「南部正英中将と本郷義昭」
「燃える満ソ国境の本郷義昭」
「南支那海に躍る快男子」
「東京ー北京に動く支那人間諜」
「上海戦線を潜る少年伝令」
「蒙古独立とソ連の間諜父子」
「再び満ソ国境に躍る本郷義昭」
 
 「僅か八人の衛生兵二百人の敵を破る」  「講談社の絵本 支那事変奮戦大画報」所収、大日本雄弁会講談社、2月    
 「空襲機密島」  偕成社、8月  「日本著者名総目録」による。秋山憲司「山中峯太郎著作年表」(「文学と教育の会会報」第40号、平成13年3月)より。  
 「戦に次ぐもの」  春陽堂、11月  「皇国苦戦記」の第四巻。このシリーズは好評だったようで、前述の第一巻のときよりも巻数がふえている。この巻では日本海海戦から、ポーツマスの講和会議、その後の屈辱講和による騒乱、そして孫文が日露戦争の影響を受けて独立運動に乗り出すまでを描いている。
おもしろいことに講和会議のシーンでは敵役であるはずのロシア全権ウイッテを余すところなく描写し、老獪な策士であるものの非常に魅力的な人間に描いているのにたいして、日本全権小村寿太郎はほとんど描写されず、ひどいときには電信のやり取りの場合小村のあいての金子男爵しか描いていない場合がある。またその後の騒乱も比較的同情的に描いていることから、おそらく峯太郎はこれ以上戦争は続けられないという客観的理解はしていたものの、日本外交の下手さ加減には憤っていたのではないだろうか。
さらにこの最後にはこう予告がある。
読者諸君へ!
山中峯太郎先生畢生の大作といわれる「皇国苦戦記」は本巻を以て四部一千四百頁に達し、日本民族の興亡を賭した日露戦役は高らかなわが勝鬨のうちに終幕となったが、続いて来たアジヤの波瀾は支那の革命であった。その革命の中に身を投じて皇国日本の礎石たらんとした山中先生の体験記は即ち本巻に続く待望の第五巻である。御期待を乞う!
 
 「草むす屍」  春陽堂、12月 「北方塹壕戦四十里」改題    
 「五軍並進の包囲戦」  春陽堂、12月 「聖戦一路」改題    
 「戦へ駆り立てるもの」  春陽堂12月「国境第一線の前後」改題    
 「泥の担架」  日本兵書出版、12月    
     

1938