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雑誌掲載作品 掲載誌 内容
「達磨人本部」 「六年の学習」6月~28年3月号 「密室系」掲示板佐山さんの御教示による。。
「日本のあけぼの」 四年の学習 9月号~28年3月号→「五年の学習」昭和28年4月号~29年3月号  未完? 「密室系」掲示板佐山さんの御教示による。
     
  書籍名   出版データ  
 「大陸非常線」  妙義出版社、2月    
 「乃木希典」  偕成社、4月  偕成社の「偉人物語文庫」の一冊である。カバーの乃木将軍のカラー肖像は梁川剛一、さし絵は樺島勝一という「敵中横断三百里」の黄金トリオがここで復活しているのは喜ばしい。ただし、昭和15年に大日本雄弁会講談社から出版された「乃木希典」と同一であるかどうかは、両方を所持していないので不明である。御存じの方はお教えいただければ幸いです。
峯太郎は「まえがき」で、「「乃木希典」という名まえを、そして、どんな人であったかを、いまの少年少女諸君は知っているだろうか。--愛国、至誠、慈愛の一生をつらぬいた涙の人が、乃木希典であった。新しい日本を、これから建てなおし栄えて行く、いまの少年少女諸君にこそ、乃木希典という人の一生を、十分に知ってもらいたいと、わたくしは切に思う」とかいている。
乃木将軍の前半生は刻苦勉励であり、その努力の甲斐あって陸軍で出世することができたというのは、「少年倶楽部」でよくみられる偉人伝であり、また峯太郎も「出世礼次郎」(「少年倶楽部」昭和15年1月号)などで何回もかいている。ただ将軍の後半生は、西南戦争で軍旗を西郷軍に奪われた恥辱をそそがんがために死に場所を求めている、というのが普通の出世物語とは違うところだろう。乃木将軍を賛美するための本であるから当然旅順攻略に際して児玉総参謀長がかわりに指揮をしたことなどはかかれていない。あくまでも乃木将軍の努力のたまものということになっている。しかし時折将軍はわざと敵弾にあたりに前線にふらふらと出て行ってしまうというようなエピソードを挿入することで、通りいっぺんとうな通俗伝記から抜き出ることができている。
しかし冷静に考えてみれば、乃木希典は「至誠慈愛の人」ではあったが、将軍としてはその能力は疑わしかったのではなかっただろうか。
 
 「太陽の凱歌」  ポプラ社、4月    
 「ナポレオン」  ポプラ社、8月    
 「明治天皇」  ポプラ社、12月